婆罗门
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本帖最后由 与太郎 于 2025-3-4 10:59 编辑
必然性で誕生した睦の第2の人格
因必然性而诞生的睦的第二人格
——前作の時点で、祥子がCRYCHIC解散の原因であることは描かれていたので、 『Ave Mujica』の物語も最初から決まっていたとばかり思っていました。
『It's MyGO!!!!!』の脚本の発注をしている裏で『Ave Mujica』のストーリーも並行して考えていたので、『Ave Mujica』の脚本に入る前にはある程度かたちが見えていて、『It's MyGO!!!!!」終盤の脚本を書いている時期には脚本家の皆さんに「『Ave Mujica』は祥子が追い詰められていく展開になります」という話をしていました。ただ、脚本を詰める段階で、1話ごとにキャラクターがさらにフォーカスされていってみると、やっぱり予定どおりにはいかなくて。ただそれって「キャラクターが生きている」ということでもあって、いつも「キャラクターに壊されるならいい。そのほうが真になる」と思っていました。
『BanG Dream!』での脚本の発注は基本、その話数のプロットを頭の中で組み立てながら口頭で担当の脚本家さんに伝えていたのですが、『It's MyGO!!!!!」以降、特に『Ave Mujica』編に入ってからはストーリーの要素や回収しないといけない伏線の物量がちょっとすさまじいことになっていて、発注の際、特に気づかなかった矛盾点の指摘を受けたりすると一気に脳内CPUの負荷が上がっていました(笑)。なんとかその場で七転しながら解決策を見出していくのですが、ようやく解決するころには当初のプランと結論が変わっていることもよくありました。実際、当初は睦をここまでフィーチャーするとは思っていなかったし、そもそも睦が二重人格になるという設定もありませんでした。
——在上一部作品中,祥子是 CRYCHIC 解散的原因这一点已被写出来了,所以我一直以为《Ave Mujica》的故事从一开始就已经决定好了。
在委托编剧撰写《It‘s MyGO!!!》剧本的背后,我也在同时构思《Ave Mujica》的故事,所以在进入《Ave Mujica》剧本之前,我已经有了一个大体的想法。在写MyGO终盘的剧本时,我对各位脚本家说过:“《Ave Mujica》将描写祥子逐步被逼到绝境的情节。” 但是,在细化脚本的阶段,于每一集中更加聚焦于角色的时候,就会发现按照原计划推进是行不通的。不过这也意味着 “角色是活生生的”, 我一直认为 “如果剧情是被角色搞乱的那是好事,这样才更真实”。
《BanG Dream!》的脚本撰写基本上是我一边在脑海中构建相应话数的情节,一边口头向负责的编剧传达的,但是“It‘s MyGO!!!!!”之后,特别是进入《Ave Mujica》篇之后,故事的要素和必须回收的伏笔数量变得有点惊人的多,在向编剧传达我的想法时,会被指出一些没有特别注意到的矛盾点,这时候脑内CPU的负荷就会一下子上升(笑)。虽然焦头烂额的思考后总归能找到解决方案,但好不容易解决问题的时候,结果往往会与最初的计划有所不同。事实上,最初我并没有想到睦会得到如此大篇幅的描写,一开始的时候也没有睦会变成双重人格的设定。
——そうだったんですか?
『Ave Mujica』編にはいって改めて睦について考えたとき、「両親が有名人で周囲にたくさんの大人がいて、様々な思惑から彼女と接触を持ちたがる状況にあって、無垢であり続けることはあり得るのかな」と思ったんですね。「こんなに心が幼く弱いのに誰も助けてくれない状況で、無垢であり続けるってどういうことなんだろう」と考えるうちに「大人からの干渉を遮断しているのではないか」「周囲との関係を絶つために内面が成長をやめたのではないか」というところまで考えが及んで。そこからちょっと視点を変えてみて、それまではキャラクターの人格を探っていたんですけど、ふと「人格が希薄ってどういうことだろう」みたいな考えが浮かんできて。そこから、人格に費やされるべき人としての容量のほとんどを、才能に占められてしまった人、いわゆるギフテッド(※6)だけどその素質に気づかずに、真逆のことばかりやっているようなキャラクターが形成されていきました。『It's MyGO!!!!!』の時にも、睦の行動原理として「自分の周りには親が与えてくれたモノしかなく、自分が人にあげられるものは自分で育てたきゅうりくらいしかない」という面を出していたので、その極端過ぎる状況を精神面にも当てはめたというか。才能と環境とに圧迫されてほとんど自我が育たなかった睦が、Ave Mujicaとして荒波の中に出ていったらどうなるんだろう、という思考を重ねた結果、最終的に「才能だけ」のモーティスと「拙い自我だけ」の睦の2人に人格が分かれるというかたちになりました。
脚本上ではキャラクターがひとり増えるので、当時は第4話ぐらいまで話が進んでいたのをまたリビルドすることになり、それ以前は祥子の過去を大きなテーマにしていたんですが、モーティスに大きなウェイトがかかることから今までのテンポでは話が入りきらなくなってしまったんです。そのとき脚本家の方たちから「1話目に祥子の過去を全部入れましょう」という案をいただいて、『It's MyGO!!!!!』で多くの謎を残したままだったこともあり、確かにそのほうが誠実かもしれないと、脚本を書き直すことになりました。
——是这样吗?
进入《Ave Mujica》篇后,我重新思考了睦的问题。我想:“在父母都是名人,周围有很多成年人出于各种各样的想法想要与她接触的情况下,她真有可能保持纯真吗?”“在内心如此幼稚脆弱却没有人帮助的情况下,还能保持纯真,这究竟是怎么回事呢?”在思考的过程中,我想到了“是不是在阻断来自成年人的干涉?”“是不是为了断绝与周围人的关系,内心停止了成长?”。把视角稍微向这个方向改变之后,对于之前一直在探索角色的人格,我突然产生了 “人格薄弱是什么意思呢”这样的想法。从这里开始,我逐渐构想出了一个角色形象:一个被才能占据了大部分应该用于人格的容量的人,也就是所谓的天才(Gifted),然而她却没有意识到自己的素质,反而总是做着完全相反的事情。在《It‘s MyGO!!!!!》的剧情中,也曾将“自己周围只有父母给予的东西,自己能给予他人的只有自己亲手培养的黄瓜” 这样的一面描写为睦的行动原理,算是在mujica中将这种极端的情况也推广到了精神层面吧。在才能和环境的压迫下,几乎没有培育自我的睦,如果以Ave Mujica成员的身份走入狂涛之中会怎么样呢?经过反复思考,最终形成了 “只有才能” 的mortis和 “只有笨拙自我” 的睦这两个分裂的人格的形式。
在剧本上这是增加了一个角色,所以当时已经进行到第4集左右的剧情需要重新构建。在此之前,我们一直以祥子的过去为主题,但由于mortis占据了过大的比重,以现在的节奏已经无法完全容纳下完整剧情了。这时,编剧们提出了 “在第1集中将祥子的过去全部写进去”的建议。由于《It‘s MyGO!!!!!》中还留下了许多谜团,这种方案也更真诚,因此决定重写剧本。
——第9話で、睦とモーティスが精神世界で争って、睦が穴の中に落ちてしまいましたが、あれはどういう描写なんでしょうか?
第8話で、睦とモーティス、2つの人格が「じつは人格ではなく演じ分け」という話に なりましたが、実際に表舞台で動けていたのは確かにこの2人であって、結局のところはあの2人が若葉睦の人格になります。ギターを弾いている無垢な睦と、それを守るため生まれたモーティス。なので、多重人格なんじゃなくて、演じている”役”が多いだけの二重人格と言えます。第9話で起きたのは、その主人格(睦)と副人格(モーティス)の自家中毒です。
本来、モーティスは睦を守る役であって、その存在意義のみに従えば、睦が現状を受け入れた時点でモーティスという役割はクランクアップだったんですが、モーティスが「人格」になったがために彼女自身に生への執着が芽生えてしまい、過剰防衛に走った挙句、主人格だった睦を凌駕してしまった。モーティスは社会的に他者とつながれる主張の強い人格なんですが、睦は儚く脆い、天然の自我なので弱いんです。過剰防衛での事故にも見える睦の転落は、モーティス自身の無意識のアリバイ作りの意味も反映されています。モーティスの「睦ちゃんを守るため」という存在理由は変わらないので、睦に直接手を下すことはできない。そこで舞台装置を使って、自分で自分に「私のせいじゃない」というアリバイを作ったともいえます。それこそ心象風景ですから、足場が壊れたところで助けるつもりがあれば助 けられたはずですが、「睦を消してでも生き残りたい」という執着があるから床下が奈落になっていた。そこまで詳細に視聴者の方々に伝わらなくてもいいとは思っていますが、演出意図としてはそういう話です。
——在第9集中,睦和mortis在精神世界中发生了争执,睦最终掉进了洞里,这个描写是什么意思呢?
在第8集中,睦和mortis这两个人格被描述为“实际上不是人格,而是分别扮演的角色”, 但实际上在表舞台上活动的确实是这两个人,最终这两个人成为了若叶睦的人格。弹奏吉他的纯洁的睦,以及为了保护她而诞生的mortis。因此,这并不是多重人格,而是一种双重人格,只是他们扮演的 “角色” 更多而已。在第9集中发生的是主人格(睦)和副人格 (mortis)的自我中毒。
Mortis原本是守护睦的角色,如果完全依照其存在意义来看的话,当睦接受现状的时候,mortis这一角色就应该杀青了,然而mortis成为了“人格”,所以她也产生了活下去的执念,陷入防卫过当的情况,结果反过来凌驾于原本的主人格睦。Mortis是在社会中与他人建立联系的自我主张强烈的人格,而睦是虚幻而易碎的,是天然的自我因此是脆弱的。睦的坠落看起来像是防卫过当导致的事故,实际是mortis自身潜意识中制造无罪证明的心理的体现。mortis “为了保护睦”而存在的理由并没有改变,因此,她无法直接对睦下手。于是,她利用舞台装置,为自己制造了一个 “不是我的错” 的无罪证明。这是实实在在的内心世界,如果在睦的立足点崩塌的时候mortis有心帮助,睦应该能够得救。正是因为mortis “即使消灭睦也要活下去” 的执着,才导致地板下面变成了无底深渊。虽然我觉得不需要向观众们详细传达这么细节的内容,但此处的演出意图就是这样。
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