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[分享] 几原邦彦、今川泰宏对《东离剑游纪》的评价

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发表于 2019-3-10 04:23 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 谈月色 于 2021-7-25 20:24 编辑

2016年10月《东离剑游纪》第一期刚完结的时候,Febri杂志第38期推出了东离的卷头特集,刊登了押井守、几原邦彦、今川泰宏、湖川友谦的评论。
押井、湖川的早已有人翻译,见Febri Vol. 38 押井守點評(不成熟翻譯草稿)Febri Vol. 38 湖川友謙評論(不成熟翻譯草稿)
感谢machinaマキナ的翻译,下面是原文

幾原邦彦:情念が人形を突き動かすという奇跡

十数年前、『Thunderbolt Fantasy東離劍遊紀』(以下『サンファン』)の制作スタジオである霹靂社さんが、ネットか何かで話題になったことがあったんです。そのときに作品を拝見して、すごくバッションを感じました。
これは単なる想像なんですけど、日本の人形劇が行かなかった先がこれなのかな、と思ったんです。黎明期の日本のアニメには結構、人形劇をやっていた方がスタッフとして参加していて—— 例えば、東京ムービーの創設者である故·藤岡豊さんも人形劇団の出身ですし、その流れでテレビアニメの演出や監督は、長浜忠夫さんやおおすみ正秋をはじめとして、人形劇出身の方が意外と多い。あとこれは日本に限らず、どこの国でもそうだと思うんですけど、子供向けのコンテンツにおいて人形劇や紙芝居が果たしていた役割はすごく大きい。その一部分がアニメに流れたのかな、と思ったんです。
要するに、それまで人形劇が担っていたところの、その一部分を、日本ではアニメが担うようになったのかもしれない。だから、霹靂布袋劇の映像を見たときに「もし、アニメに行かなかったら、こういう風に進化したのかもしれないな」と思ったんですよね。
今の日本で、エンターテインメントをやろうと思う、そういう情熱を持っている人は、きっと人形劇を選ばないと思うんです。それこそ3DCGだったりアニメを選ぶ。なぜなら、日本において人形劇は—— 少し意地悪な言い方をすると、娯楽というよりは文化的なものになってしまっているから。でも、もともと浄瑠璃なんかは大衆が見るものだったけで、そういう猥雑さというか、アニメの黎明期にあった「なんでもあり」のバワー。それに近いものを、台湾の布袋劇には感じたんです。
この『サンファン』にも、そうしたパッションが脈々と息づいているような気がします。もちろん、技術的には進化しているんですけど、でも印象としては変わっていない(笑)。うまく言えないんですけど、あのアナログ感がいいというか。
いわゆるアニメ的な造形のキャラクターを3D的な空間で動かそうとすると、今ならCGを選ぶのが普通だと思うんです。でも、それをわざわざ人形でやっているわけじやないですか。その意味を考えると、やはり人形の持っているアナログ感とか実存感なのかな、と。例えば『サンダーバード』みたいな作品があるわけですけど、その面白さのひとつは、人形が持っている実物感で。それこそ、おもちやが演劇をやっているような——明らかに人工的なんだけど、作り込まれている面白さがある。ちょっとネジれた見方かもしれないんですけど……。
よく知らない世界なので、もしかしたら的外れな印象かもしれないですけど、昔の浄瑠璃などの中心には、情念があったと思うんです。そして、そうした情念の表現を今の日本で引き継いでいるのは、アニメなのかなと思っていて。その意味で『サンファン』も、情念の部分を色濃く引き継いでいて、表面的には激しく人形を動かしているということになるんですけど、でもそれをさせている根源的なエネルギーは、なんらかの情念——例えば、怒りだったり憎しみのエネルギーなのかな、と思うんです。
日本のアニメが海外で批判されるときに、表面的には暴力表現が問題になったりしますよね。でも、その底にあるのは、なんらかの情念だったりする。それこそ、例えば「一族の復讐を遂げる」みたいな情念が、キャラクターたちを突き動かしている。もちろん、もともと子供たちが読む文学みたいなものにも、そうした情念はいっぱい存在していたわけですけど、いざ視覚化するときには、表現としてそういうものを出すのを避けようとする。海外にはそういう抑圧があるような気がするんです。
そういう意味でも、日本ではアニメが担っている部分を、台湾では人形劇が担っているのかな、と。『サンファン』を見ていて面白いと思ったのは、やはりそこでしたね。
今川泰宏:人形劇だからこそできる表現の魅力

シナリオを日本の方が、まったくのオリジナルで書いていると知ったときには驚きました。それくらい、この作品には本格的な「武侠もの」らしさがある。僕の大好きな、「最初からそれを言っておけば 、誤解も何も起こらず、こんな問題にならなかったのに!」という、やきもきする物語の引っ張り方をするところとか(笑)。金庸(編注 :武侠小說を代表する作家のひとり)の作品にこういう展開がよく出てくるんです。
既存の布袋劇のシリーズ展開から切り離した作品を、日本での布袋劇の入り口にするというのは、正しい判断だったと思います。昔、「なぜ『スター·ウォーズ』は日本で広く受け入れられたのに『スタートレック』の映画はいまひとつなのか?」ということを考えたことがあるんです。答えは、『スタートレック』はシリーズとして膨大な積み重ねがあって、それを全部学ばないと最新作を楽しめないという先入観を持たれるんだろうな、と。だからある時期、『スタートレック』は映画の邦題にシリーズ名を入れるのを止めていたという話も聞く。本場では看板になる要素が、日本ではマイナスになってしまうことは、ままある。
「武侠もの」であることの八ードルを下げる意味では、人形劇であることもいいなと思いました。日本にはもともと文楽の伝統なんかもあるし、私くらいの世代だと、子供の頃にNHKの『新八犬伝』がプームになったこともあって、人形劇という形式になんとなくなじみがある。『新八犬伝』は、『八犬伝』なんて難しい話がベースなのに、人形劇として作られていたことで子供でも楽しめるものになっていたのですが、それと似たようなことをこの作品もやっているのだと思います。しかも、人形は現代風の美形で、より親しみやすく、さらによく動く。
人形の出来は本当に素晴らしいですね。アニメは省略とデフォルメの表現だから、キャラクターデザインで線をなるべく減らすわけですが、人形の場合はむしろ逆で、絵で描いた原案よりもディテールを増やしている。そこがいい。マンガやアニメの絵を立体物にするときには「本当に存在していたらどうなのか?」と考えるのが正解かもしれません。海外のコスプレイヤーとか、そういう発想で衣装を作るんですよね。絵ではペラペラに描かれているべルトを、しっかりとした本革で作るとか。絵に近づけるより、そっちのほうが「本物らしい」という考え方をする。
映像面で気になったのは、エフェクトを大胆に使っているところです。これも人形劇ならではだと思うんです。武侠ものは実写でも制作されていますが、そこではなるべく光線のエフェクトなんかは入れないようにしている。人間のアクションにエフェクトを合成すると、やはり違和感があるからでしよう。でも、作り物である人形に、同じ作り物であるエフェクトを重ねても違和感はあまりない。そうした要素を大胆に導入できることで、きちんと「フアンタジー」になっている点も魅力的です。そして魔族や魔物といった、現実から飛躍する要索を大胆に出しているおかげで、金庸の作品をただ映像化したような向こうの映画やドラマよりも、私は楽しめました。
あとは途中で詩が読み上げられて、文字が画面に出るところもいいですね。向こうの文学作品、例えば『水滸伝』なんかを読むと、本文の途中でいきなり詩が入る。あの雰囲気がある。やはり中華系の表現なんでしょうね、そこは。ちなみに画面に文字を出すのは私も大好きで、監督を務めた『ソャイアントロボ THE ANIMATION〜地球が静止する日〜』でも『機動武闘伝Gガンダム」でもやりました。そういう「画面をひとつの額縁」と捉えるような演出は、それ以前からずっとやってみたかったんです。
とにかくいろいろな点で感心しましたし、自分の作品に通ずる要棄もあって、とても楽しめました。もし、チャンスがあったら、ぜひ自分も布袋劇に関わってみたいですね。

顺便可以欣赏一下湖川画的蔑总


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发表于 2019-3-10 10:09 | 显示全部楼层
本帖最后由 machinaマキナ 于 2019-3-10 11:31 编辑

几原邦彦:以“情”驱动人形的奇迹

十几年前,《Thunderbolt Fantasy東離劍遊紀》(以下简称《东离》)的制作团队霹雳社,曾在网络上成为热门话题。当时我观看了他们的作品,感受到了强烈的热情。

虽然只是我个人的想象,但我觉得也许这就是日本的人偶剧没有发展到的境界。黎明期的日本动画,其实就有很多从事人偶剧的人士参加——比如,东京MOVIE的创始者,故人藤岡豊就是人偶剧团出身。那之后,以長浜忠夫和大隅正秋为首,许多人形剧出身的人士都成为了TV动画的演出和监督。还有一点,我觉得不仅是日本,很多国家都是这样,在面向孩子们的内容中,人偶剧和连环画剧这样的娱乐形式占了很大成分。而这种娱乐需求的一部分,我想是转移到了动画上。

总之我想说的是,过去由人偶剧承担的东西,其中的一部分在日本可能是由动画来承担的。所以当我看到霹雳布袋戏的影像时,我心想“如果没有发展动画,人偶剧就会像这样进化啊。”

在如今的日本,有热情想要进军娱乐产业的人,我想一定不会选择人偶剧,而是会选择3DCG和动画。因为在日本,人偶剧——我说的直白一点,与其说是娱乐产品,更接近文化产品了。不过,原本净琉璃就是给大众观看的东西,那种下里巴人的内容,那种动画黎明时期“为所欲为”的活力。我在台湾的布袋戏中,感受到了类似的东西。

在《东离》身上,我能感觉到这种热情的一脉相承。当然,技术方面有所进化,但是印象并没有改变(笑)。我没法表达清楚,但那种“仿真(analog)感”真好啊。

要让动画造型的角色在3D的空间里动起来,如今的正常选择是用CG。但是,他们却坚持用人偶来表现。考虑这层意义,果然人偶的优点就在于那种仿真感和真实感吧。例如像《东离》这样的作品,它的一大魅力,就是人偶带来的真实感。仿佛玩具突然演起戏来——虽然一看就知道是人工制造的,但却有种精心雕琢的魅力。也许我的观点比较扭曲……

我对这一行并不熟悉,所以只有一些浅显的印象。我感觉过去的净琉璃等人偶剧,是以“情”作为中心的。然后,现今日本继承了这种情感表达的,我认为是动画。在这层意义上,《东离》也浓厚地继承了“情”的部分。外观上动作激烈鲜明的人偶,让它们动起来的根源动力,就是某种感情——例如愤怒、例如憎恨。

日本的动画在海外受到批评,表面上是因为暴力的表现。但是深层原因,在于某种感情。因为,正是有着例如“完成一族的复仇”这样的情感,才让角色有了激烈的表现。当然,即使是孩子们阅读的文学里也会出现这种故事,也含有很多这种感情。但是到了做成影像画面的时候,还是会避免过激的表达。我认为海外对这种感情表达是有所遏制的。

这样说来,在日本由动画承担的情感表达,在台湾就是由人形剧来承担了。观看《东离》的乐趣,我想就在这里。

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今川泰宏:只有人偶剧才能做到的表演魅力

当我得知这样的一个故事,剧本竟然是日本人写出来的,我吓了一跳。这部作品的“武侠味”就是这么地道。而我特别喜欢的,就是这种令观众焦急的故事展开方式(笑),“要是刚开始就把话说清楚,也不会产生误解,也不会出现问题了!”金庸的作品里就常常有这种剧情展开。(编注:金庸,武侠小说的代表作家之一)

和已有的布袋剧系列故事分离,以这部作品作为进入日本的起点,我认为是正确决定。以前我曾经想过,“为什么《星球大战》在日本广受欢迎,而《星际迷航》的电影只有一部呢?”答案是,《星际迷航》系列实在太过深厚,人们先入为主地觉得不把整个系列都掌握就无法欣赏最新作。所以我还听说,从某个时期开始,《星际迷航》电影的标题就不再加上系列名称了。在原产地是重要看点的内容,在日本却成为缺点,这种事也屡见不鲜。

“武侠故事”减少了日本观众欣赏作品的难度,而人偶剧同样也有它的好处。日本自身就有文乐的传统。我这一辈的人,小时候都经历过NHK《新八犬传》的热潮,对人偶剧这种形式并不陌生。《八犬传》是很艰深的作品,但《新八犬传》以其为基础,用人形剧这种形式表演,让孩子们也能轻松观看。我想《东离》这部作品的好处也在这里。更何况,它的人形都是现代风的俊美形象,而且动作流畅,让人更容易产生好感。

(注:“文乐”即是净琉璃人偶剧)

人偶的形象也非常的美丽。动画因为采取省略和变形的表现,所以会尽可能减少角色设计的线条。但人偶则正相反,比原案图画增加了更多细节。这正是它的妙处。漫画和动画的画面变成立体事物时“如果它真的存在会是什么模样?”,人偶剧大概就是这样的一种思路。海外的Cosplayer们,也会用这种想法制作衣服。将图画里轻飘飘的腰带,变为真实厚重的皮革。比起接近图画,更强调接近“真实”。

影像上令人注意的,就是大胆地动用特效。我觉得这也是人形剧的一个特色。武侠作品也被拍摄成电影电视,但那些作品会尽可能地不使用光影特效。用特效制作人类的动作,果然还是不够真实。但人工制作的人偶,加上人工制作的特效,违和感就很小了。而且还能放心大胆地引入对应的夸张要素,创作出“幻想”也是其魅力所在。于是就有了魔族和魔物,大胆地出现了脱离现实的要素。比起那些单纯将金庸作品影像化的电影电视剧,这一点更让我感到愉快。

还有就是故事中念出诗词,画面上显出文字的演出也很棒。阅读《水浒传》等作品,会在正文中突然加入诗歌。那种氛围,果然是中华系作品的表现方式。顺便一提我也特别喜欢在画面中加入文字,我负责监督的作品,《铁甲人~地球静止之日》《机动武斗传G高达》里都这样做了。那种“将画面缩为一个画框”式的演出,我从以前就一直想尝试了。

总之,这部作品有很多地方都打动了我,和我自己的作品也有共通的地方,令我十分感动。如果以后有机会,希望自己也能与布袋戏有所交集。

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发表于 2019-3-10 10:50 | 显示全部楼层
马克下,坐等翻译。
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发表于 2019-3-10 11:08 | 显示全部楼层
我觉得这纯属想多了,布袋戏无论创作者还是观众都比动画单纯得多,你拿特摄来凑对子还差不多
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发表于 2019-3-10 11:32 | 显示全部楼层
嗯,两篇都完成了。欢迎指正、

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 楼主| 发表于 2019-3-10 18:49 | 显示全部楼层
本帖最后由 谈月色 于 2019-3-11 10:11 编辑

感谢翻译~
今川泰宏似乎也想上手搞一搞布袋戏的样子,画面想想也是挺美的……但是编剧还好说一点,导演的工作是必须在现场,语言的隔阂就会很麻烦,而且布袋戏是现场剪辑而不是后期剪辑,与一般的真人片都不同,总之导演会受到这一体裁上的更多限制。
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发表于 2019-3-10 18:52 来自手机 | 显示全部楼层
感谢翻译
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发表于 2019-3-10 18:57 | 显示全部楼层
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发表于 2019-3-10 19:33 | 显示全部楼层
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发表于 2019-3-10 21:40 来自手机 | 显示全部楼层
感谢翻译
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发表于 2019-3-10 22:36 | 显示全部楼层
感谢翻译
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发表于 2019-3-10 22:39 来自手机 | 显示全部楼层
看完了,感谢翻译。

—— 来自 Xiaomi MIX 2, Android 8.0.0上的 S1Next-鹅版 v2.0.3-play
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发表于 2019-3-11 02:51 来自手机 | 显示全部楼层
感谢翻译

如老虚所愿,推广给了好多老贼啊
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发表于 2019-3-11 08:04 | 显示全部楼层
本帖最后由 kruisu 于 2019-3-11 08:07 编辑

几原的话涉及到一些别的深层次而敏感的东西,其实他对布袋戏不感兴趣吧,说的其实和布袋戏没多大关系。感谢翻译
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 楼主| 发表于 2019-3-11 10:11 | 显示全部楼层
kruisu 发表于 2019-3-11 08:04
几原的话涉及到一些别的深层次而敏感的东西,其实他对布袋戏不感兴趣吧,说的其实和布袋戏没多大关系。感谢 ...

押井守恐怕对布袋戏就更不感兴趣了,全程吹老虚
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发表于 2019-3-11 10:26 来自手机 | 显示全部楼层
kruisu 发表于 2019-3-11 08:04
几原的话涉及到一些别的深层次而敏感的东西,其实他对布袋戏不感兴趣吧,说的其实和布袋戏没多大关系。感谢 ...

几原说的都是“如果是动画拍会怎样”,今川说的是“如果我用人偶剧拍会怎样”
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 楼主| 发表于 2019-3-11 11:16 | 显示全部楼层
天人五衰 发表于 2019-3-11 10:26
几原说的都是“如果是动画拍会怎样”,今川说的是“如果我用人偶剧拍会怎样” ...

几原说的是动画与布袋戏的相通之处:黎明期的日本动画,其实就有很多从事人偶剧的人士参加……那种动画黎明时期“为所欲为”的活力,我在台湾的布袋戏中,感受到了类似的东西……我认为是动画现今继承了这种情感表达,在这层意义上,《东离》也浓厚地继承了“情”的部分
今川说的是布袋戏的独特之处:在原产地是重要看点的内容,在日本却成为缺点……动画因为采取省略和变形的表现,所以会尽可能减少角色设计的线条,但人偶则正相反……武侠作品也被拍摄成电影电视,但那些作品会尽可能地不使用光影特效,但人工制作的人偶,加上人工制作的特效,违和感就很小了,而且还能放心大胆地引入对应的夸张要素eg魔族和魔物……还有就是故事中念出诗词,画面上显出文字的演出也很棒
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发表于 2019-3-11 11:21 | 显示全部楼层
几位似乎都没有提到布袋戏口白的问题,当然可能是日语和普通话配音都是一人一个角色了他们没有注意到。
押井守提到了声优,今川泰宏姑且提了诗号,想到去年似乎有声优比导演还了解角色的情况出现,真是滑稽啊。
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 楼主| 发表于 2019-3-11 11:40 | 显示全部楼层
bm7号 发表于 2019-3-11 11:21
几位似乎都没有提到布袋戏口白的问题,当然可能是日语和普通话配音都是一人一个角色了他们没有注意到。
押 ...

一人口白作为布袋戏传统知识是会介绍的,但东离第一季没有普通话配音,闽南语配音版只在台湾发行,而且也是多人口白(男角色都是由黄汇峰担纲,女角色则有不止一位配音员),总之东离就跟一人口白没什么关系。
“去年似乎有声优比导演还了解角色的情况出现”是指的什么?
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发表于 2019-3-11 12:00 | 显示全部楼层
谈月色 发表于 2019-3-11 11:40
一人口白作为布袋戏传统知识是会介绍的,但东离第一季没有普通话配音,闽南语配音版只在台湾发行,而且也 ...

男的一人也算一人
国家队啊,第二句算我对动画导演的发泄,别在意。
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发表于 2019-3-11 12:04 | 显示全部楼层
machinaマキナ 发表于 2019-3-10 10:09
几原邦彦:以“情”驱动人形的奇迹

十几年前,《Thunderbolt Fantasy東離劍遊紀》(以下简称《东离》)的 ...

感谢翻译君
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发表于 2019-3-11 12:15 来自手机 | 显示全部楼层
挺有意思的观点
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发表于 2019-3-11 16:11 | 显示全部楼层
其实东离的人设挺有趣的
一般鬼鸟这种人都是反派的,没想到东离里是主角
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 楼主| 发表于 2019-3-11 22:01 | 显示全部楼层
本帖最后由 谈月色 于 2022-5-31 01:58 编辑

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发表于 2019-10-7 11:39 来自手机 | 显示全部楼层
谢译
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